越前の赤座氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 07:12 UTC 版)
越前の赤座氏は藤原姓で、室町時代守護斯波氏に仕えて南仲条郡新道に居した。室町期には天真自性が嘉慶元年(1387年)に開いた慈眼寺に保護を加えたという。後赤座直則・直保のとき朝倉氏家臣を経て織田信長家臣となり、信長没後は豊臣秀吉に仕えて大名に列し今庄に陣屋を置いた。関ヶ原の戦いで直保は西軍を裏切り東軍の勝利に貢献するも通款を明らかにしなかったことから改易され、前田利長に招かれて加賀藩士として存続した。また家名を永原に改めている。
※この「越前の赤座氏」の解説は、「赤座氏」の解説の一部です。
「越前の赤座氏」を含む「赤座氏」の記事については、「赤座氏」の概要を参照ください。
- 越前の赤座氏のページへのリンク