赤尾渋垂郡辺神社とは? わかりやすく解説

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赤尾渋垂郡辺神社

読み方:アカオシブタリコオリベジンジャ(akaoshibutarikooribejinja)

教団 神社本庁

所在 静岡県袋井市

祭神 息長足姫命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

赤尾渋垂郡辺神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 07:43 UTC 版)

赤尾渋垂郡辺神社
所在地 静岡県袋井市高尾193
位置 北緯34度44分27.0秒 東経137度56分14.2秒 / 北緯34.740833度 東経137.937278度 / 34.740833; 137.937278座標: 北緯34度44分27.0秒 東経137度56分14.2秒 / 北緯34.740833度 東経137.937278度 / 34.740833; 137.937278
主祭神 息長足姫命 (神功皇后)、誉田別命 (応神天皇)、玉依姫命ほか16柱
社格郷社式内社論社
創建 養老元年(717年)以前
例祭 10月15日 (現在は10月第二日曜日・袋井祭り)[1]
地図
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赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ)とは、静岡県袋井市高尾に所在する神社。

概要

古文書に717年養老元年)遠江国造の神霊を相殿に祀ったと記されている[1]。『日本三代実録』には、878年元慶2年)9月16日に「赤尾神、渋垂神に従五位下を授けられた」と記されている。

739年天平11年)11月4日には、行基により寺院が開山、赤尾山長楽寺と号して栄えるが、戦国時代の争乱などで衰退し、江戸時代は高野山普門院の末寺として存続する[1][2]

明治時代に入り、神仏分離や一村一社制といった国策に合わせて、境内神社や旧高尾地内大小数社の合祀が行なわれ、二つの本殿であった赤尾神社・渋垂神社の合祀を始め、郡辺神社(別名 六所大明神・延喜式内社)・若一王子神社・八幡神社・山名神社・敢国神社・天伯神社・八面神社・津島神社・天神社・注連神社等が、合祀された。

1872年明治5年)2月、郷社に昇格。1915年大正4年)神饌幣帛供進社指定。

1951年昭和26年)社殿を改修。2002年平成14年)神社本庁指定神社。2006年(平成18年)社殿改築・社務所新築、2011年(平成23年)の台風被災後、境内・山林整備を行う。

祭神



境内社

  • 白山神社 - 祭神:菊理姫命など、例祭:7月15日の前の日曜日。
  • 赤尾弁財天社 - 祭神:市杵島姫命、例祭:4月8日後の日曜日。
  • 礎国(そこく)神社 - 祭神:旧袋井市内の明治・大正・昭和の英霊1370柱、例祭:9月30日。

史跡

脚注

関連項目

外部リンク



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