賛成 (朝鮮)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/05 12:37 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動賛成 / 賛成事 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 찬성 / 찬성사 |
漢字: | 贊成 / 贊成事 |
発音: | チャンソン / チャンソンサ |
日本語読み: | さんせい / さんせいじ |
文化観光部2000年式: マッキューン=ライシャワー式: |
chanseong / chanseongsa ch'ansŏng / ch'ansŏngsa |
賛成(チャンソン、朝鮮語: 찬성)、または賛成事(チャンソンサ、朝鮮語: 찬성사)は、朝鮮における官職。
沿革
高麗の忠烈王元年(1275年)、官制の改編によって僉議府が設置されるとともに、門下侍郎平章事及び中書侍郎平章事が僉議侍郎賛成事、門下平章事及び中書平章事が僉議賛成事にそれぞれ改称された。定員は僉議侍郎賛成事、僉議賛成事ともに2名ずつであった。1293年、僉議府が都僉議使司に改められると都僉議侍郎賛成事、都僉議賛成事となる。1298年に忠宣王によって一時廃止されたり、1308年には中護へ改称、1356年には中書門下侍郎平章事、中書門下平章事に復したりしたが、1362年に門下賛成事とされ、そのまま高麗滅亡まで継続した[1]。
朝鮮王朝成立後は門下府に侍郎賛成事と賛成事が1名ずつ置かれた。太宗14年(1414年)、同判議政府事を経て左参賛、右参賛に改編されたが、翌1415年には左参賛が賛成、右参賛が参賛となった[1]。世宗19年(1437年)に賛成は2名に増員され、左賛成と右賛成に分割された。最終的には1895年に議政府が内閣へと改編されたことに伴い廃止された[2]。
参考文献
- 변태섭 (1995), “찬성사(贊成事)”, 韓国民族文化大百科事典, 韓国学中央研究院 2019年12月26日閲覧。
- 한충희 (1995), “찬성(贊成)”, 韓国民族文化大百科事典, 韓国学中央研究院 2019年12月26日閲覧。
脚注
「賛成 (朝鮮)」の例文・使い方・用例・文例
- 投票の結果は賛成5, 反対4, 棄権2であった
- 賛成投票
- 肯定する,賛成する
- あなたは賛成ですか
- あなたの判断にまったく賛成です
- われわれ皆が賛成というわけではない
- それに賛成,それでよい
- 彼女はうなずいて賛成の意を示した
- 賛成してうなずく
- あなたの決定に賛成です
- 彼は週休2日制に賛成を唱えた
- 賛成と反対
- 賛成者多数により可決
- 提案に賛成した
- 彼へ権限を委任することには賛成しかねる
- 「どう思いますか」「まったく賛成です」
- 提案に賛成する
- 私はどんな戦争にも賛成できない
- 私はある程度まで君に賛成だ
- 不賛成だとして首を横に振る
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