豪族の外護・発展する身延
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 15:36 UTC 版)
「日進 (身延3世)」の記事における「豪族の外護・発展する身延」の解説
日進は下総の法華経寺と交流を深める事によって下総・相模方面の豪族から外護を受け、御影堂の修理改築を始めとして数多くの整備を行い、身延山久遠寺を大きく発展させた。 日宥が著した「身延先師代々の事」によれば、日蓮が存命の頃に十間四面の房だった久遠寺を、日進の代に至って本堂以下の諸堂、ほとんどの伽藍を整備したとあり、日進が久遠寺を一新させた事がうかがえる。身延山の二王門には下総中山の檀那・六浦妙法が建立、鐘楼には市川村の檀那が建立とあり、いずれも下総で布教した日進の代に建てられたと考えられる。また法華経寺の日祐が著した「一期所修善根記録」には、日進の代に久遠寺の御塔頭・鏡楼・塔頭奉祀板本尊等の造営をしたと著されている。塔頭とは日蓮の真骨を奉安したお堂のことで、日蓮の廟墓と別に新造したとされる。
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