豆自走砲開発の打ち切り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:18 UTC 版)
「SU-45 (自走砲)」の記事における「豆自走砲開発の打ち切り」の解説
1936年1月1日までに最初の試作を完成させる計画にもかかわらず、予定より遅れ、1936年の春に完成。 T-37型によるテストが何度か行われるのと並行してT-38型の試作も完成するが、1936年の春頃に行われたテストの際にT-37型が失われた。 引き続きT-38型によるテストが行われるが、T-37型の際に指摘された脆さなどが殆ど改善されておらず、また内部がかなり窮屈である事が問題となっていたが、T-38型は乗員が一人増えた事で更にこれが悪化していた。 また、計画予定よりも重量過大となったことから、水上浮航能力を失ったことや、豆戦車ベースでは、エンジンの出力不足や、シャーシやパワートレインが耐えられないなど、機械的信頼性にも欠けるという、欠点があった。これらの理由により、ソ連では、SU-45は元より、豆戦車を元にした自走砲の、開発を放棄することとなった。
※この「豆自走砲開発の打ち切り」の解説は、「SU-45 (自走砲)」の解説の一部です。
「豆自走砲開発の打ち切り」を含む「SU-45 (自走砲)」の記事については、「SU-45 (自走砲)」の概要を参照ください。
- 豆自走砲開発の打ち切りのページへのリンク