諏訪神社_(加須市諏訪)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 諏訪神社_(加須市諏訪)の意味・解説 

諏訪神社 (加須市諏訪)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/01 07:50 UTC 版)

諏訪神社
所在地 埼玉県加須市諏訪1-8-4
位置 北緯36度07分51.4秒 東経139度35分48.7秒 / 北緯36.130944度 東経139.596861度 / 36.130944; 139.596861 (諏訪神社 (加須市諏訪))座標: 北緯36度07分51.4秒 東経139度35分48.7秒 / 北緯36.130944度 東経139.596861度 / 36.130944; 139.596861 (諏訪神社 (加須市諏訪))
主祭神 健御名方命
社格 村社
創建 正平10年(1355年
別名 三俣諏訪神社
テンプレートを表示

諏訪神社(すわじんじゃ)は、埼玉県加須市神社

歴史

1355年正平10年)に創建された。当時の利根川は、現在の羽生市の川俣付近から南流して、加須市内では「鬼島」「中島」「明智島」と呼ばれる中州が形成されていた。そして鬼島には怪物が生息していて、地域住民を悩ませていた。旅の教蔵は怪物の話を聞き、一人で鬼島に渡り、7日間にわたり称名念仏していた。すると夜中に一人の女性が現れ、十念を乞うた。教蔵はこの女性に十念を授けると、大きな白いに変身し、あっという間に姿を消した。教蔵は龍の頭があったところに龍蔵寺を建て、尾があったところに神社を創建したのが当社の起源である。「高徳寺」が別当寺であった。高徳寺は明治初期の神仏分離により、廃寺に追い込まれた。高徳寺の僧侶の賢海は還俗して当社の神職となった[1]

1872年明治5年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられ、1907年(明治40年)の神社合祀により、周辺の2社が合祀された[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年、870-871p

参考文献

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  諏訪神社_(加須市諏訪)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「諏訪神社_(加須市諏訪)」の関連用語

1
58% |||||

諏訪神社_(加須市諏訪)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



諏訪神社_(加須市諏訪)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの諏訪神社 (加須市諏訪) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS