詩風〜性霊説・公安派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 08:04 UTC 版)
師・李卓吾の「童心説」や、師から受け継いだ反骨精神は、三袁の詩風にも大きく影響を与えることとなった。当時の詩壇においては、盛唐の詩を重んずる流れが風靡し、王世貞・李攀龍ら古文辞派による復古主義・擬古主義が擡頭していた。しかし、儒教の伝統的な経書である四書五経よりも通俗小説の『水滸伝』などを重んじたという師の李卓吾の影響を受けた三袁兄弟は、擬古主義的な詩に反抗し、詩文はほんらい真情(霊性)を素直に発露すべきものであり、いたずらに盛唐詩ばかりをもてはやすべきでないと主張。「古詩はその意を学び、必ずしも字句に拘泥せず」として、己の感ずるままに詩作を行った。そのため、三袁の詩は比較的技巧を廃した読みやすい作品が多いといわれる。詩のみならず散文にまで及んだこのような三袁の姿勢は「性霊説」と称され、また兄弟の出身地から「公安派」と呼ばれることとなった。 公安派は当時としては革新的に過ぎ追随者はそれほど多くはなかったが、一方やや遅れて竟陵出身の鍾惺・譚元春らは性霊説を尊重しつつも、擬古主義を全否定せずにある程度取り入れた作風で詩をなし、「竟陵派」と呼ばれた。性霊説はその後清代の袁枚へつながっていくことになる。
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