設楽氏ゆかりの城館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:29 UTC 版)
増瑞寺屋敷(愛知県新城市富永字原ノ内):鎌倉期の居館跡で、設楽氏発祥の地とされる。 設楽城(愛知県北設楽郡東栄町):建久元年(1190年)設楽資時が設楽八名の領主となり、正和元年(1312年)に設楽重清が岩瀬郷へ移るまでの約120年間を設楽氏が治めたとされる。 岩広城(愛知県新城市富沢):正和元年(1312年)に設楽重清が岩瀬郷へ配置換えとなり、正和2年(1313年)に岩広城を築いたとされる。別名岩広村広瀬城。三河国二葉松では設楽越中守守通の別城とされる。城跡の北には、重清夫妻の墓とされる「全光塚」がある。 川路城(愛知県新城市竹広):別名大坪村古城。三河国二葉松では設楽甚三郎、設楽兵庫の居城とされる。城跡に歴代の城主が鷹狩の鷹の飼育に使っていたとされる「お鷹井戸」が、城跡の西に「小川路稲荷」が残っている。 来迎松城(愛知県新城市富永):三河国二葉松では設楽越中守守通の根城とされる。城跡には、稲荷大明神と宝筐印塔がある。 川路端城跡(愛知県新城市川路):設楽氏家老の夏目氏の城。 設楽氏館(埼玉県秩父郡皆野町金沢):北条氏邦の家臣設楽金太夫の居館であったとされる。
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