記録・遺物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 02:11 UTC 版)
「羽柴秀勝 (石松丸)」の記事における「記録・遺物」の解説
滋賀県長浜市の妙法寺には羽柴秀勝像とされる稚児姿の六、七の男児を描いた肖像画が所蔵されていた。これは焼失し現存していないが、法要用の掛け軸「本光院朝覚居士絵像」の写真が多数残っている。 他にも天正4年10月14日の銘文と法名「朝覚霊位」と記された供養塔が残っている。同市の曹洞宗興福山徳勝寺には位牌があり、法名は「本光院朝覚居士」となっている。 同地の天台宗寶生山知善院には、天正4年10月14日に秀吉の子・秀勝が早世した故に、同月22日に仏供料として伊香郡井之口にて30石の寺領が与えられたという寺伝記録がある。 平成14年(2002年)、墓所を移築した際に発掘調査があり、安土桃山時代初期大名様式の「石囲い箱棺墓」が出土した。埋葬者はわかっていないが、羽柴秀勝の墓の伝承があった場所からの発見であり、その可能性があるとされる。新たな墓の発見によって、前述の石造笠塔婆(題目式笠塔婆)が併せて市指定文化財とされた。
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