観音寺 (世田谷区桜上水)とは? わかりやすく解説

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密蔵院 (世田谷区)

(観音寺 (世田谷区桜上水) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/15 17:32 UTC 版)

密蔵院
所在地 東京都世田谷区桜上水2-24-6
位置 北緯35度39分42秒 東経139度37分44秒 / 北緯35.66167度 東経139.62889度 / 35.66167; 139.62889座標: 北緯35度39分42秒 東経139度37分44秒 / 北緯35.66167度 東経139.62889度 / 35.66167; 139.62889
山号 幽谿山
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王立像
創建年 1598年
開基 頼慶
正式名 幽谿山密蔵院観音寺
札所等 玉川八十八ヶ所霊場45番
法人番号 4010905000313
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密蔵院(みつぞういん)は東京都世田谷区桜上水にある真言宗豊山派仏教寺院。詳しくは幽谿山密蔵院観音寺と称する。護国寺の末寺で、玉川八十八ヶ所霊場45番札所。

本尊

本尊は不動明王立像で、1782年宝暦12年)に安置したと伝えられる[1]

歴史

下野国都賀郡水代村の城主であった榎本重泰、氏重親子は、当地の地頭であった世田谷城吉良氏家人の鈴木(穂積)重貞と親しくなり、1580年天正8年)当地に居を構える。その後、榎本親子を訪ねて来た都賀郡の僧・頼慶に鈴木重貞は帰依し、1598年慶長3年)重貞の養子・但馬定宗が一寺を創建して頼慶を住職としたのが開基と伝えられる。

江戸時代まで勝利八幡神社別当寺であった。 1875年明治8年)には近隣の安楽寺を合併、現在に至る。

本堂・伽藍

本堂は、1744年延享元年)の建立。不動明王立像[4]、矜羯羅童子[9]、制吒迦童子[14]、阿弥陀如来坐像[17]、胎蔵界大日如来坐像[20]、聖天立像[23]、地蔵菩薩半跏像[26]をおさめる。

観音堂には、百体の観世音菩薩を祀る。

また年号を示す資料は他にも保存され、板碑は「弘□(安)□」(1278年-1288年)[27]、石造の遺物5件のうち4件はそれぞれ万治3年(1660年)、寛文10年、享保3年(1718年)、元禄3年(1690年)と刻んである[28][29]

庭園のイロハモミジの古木は、紅葉の季節の名物である[30]

所在地・交通

東京都世田谷区桜上水2-24-6

参考文献

  • 世田谷区教育委員会掲示
  • 『世田谷区石造遺物調査報告書』世田谷区教育委員会、東京都世田谷区、1984年。 NCID AN10193393 
  • 『世田谷区現存板碑集成』 1巻、東京都世田谷区教育委員会〈世田谷区石造遺物調査報告書〉、1984年。 NCID BN01891739 
  • 東京都世田谷区立郷土資料館 『世田谷区社寺史料』東京都世田谷区教育委員会、1982年。 
    • 第1集『彫刻編』
    • 第3集『絵画・彫刻II・目録編』

脚注

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  1. ^ 世田谷教育委員会 1984, 381 不動明王立像一躯、江戸時代。
  2. ^ 世田谷教育委員会 1984, 386 不動明王立像
  3. ^ 世田谷区立郷土資料館 1982, 第3集『絵画・彫刻II・目録編』
  4. ^ 一躯、江戸時代[2][3]
  5. ^ 世田谷教育委員会 1984, 382 矜羯羅童子
  6. ^ 世田谷区立郷土資料館 1982, 第1集『彫刻編』
  7. ^ 世田谷教育委員会 1984, 387 矜羯羅童子立像
  8. ^ 世田谷区立郷土資料館 1982, 第3集『絵画・彫刻II・目録編』
  9. ^ その1、一躯、江戸時代[5][6]。その2、一躯、江戸時代[7][8]
  10. ^ 世田谷教育委員会 1984, 383 制吒迦童子
  11. ^ 世田谷区立郷土資料館 1982, 第1集『彫刻編』
  12. ^ 世田谷教育委員会 1984, 388 制吒迦童子立像
  13. ^ 世田谷区立郷土資料館 1982, 第3集『絵画・彫刻II・目録編』
  14. ^ その1、一躯、江戸時代[10][11]。その2、一躯、江戸時代[12][13]
  15. ^ 世田谷教育委員会 1984, 384 阿弥陀如来坐像
  16. ^ 世田谷区立郷土資料館 1982, 第1集『彫刻編』
  17. ^ 一躯、江戸時代[15][16]
  18. ^ 世田谷教育委員会 1984, 385 胎蔵界大日如来坐像
  19. ^ 世田谷区立郷土資料館 1982, 第1集『彫刻編』
  20. ^ 一躯、慶安5年(1652年)[18][19]
  21. ^ 世田谷教育委員会 1984, 389 聖天立像
  22. ^ 世田谷区立郷土資料館 1982, 第3集『絵画・彫刻II・目録編』
  23. ^ 一躯、江戸時代[21][22]
  24. ^ 世田谷教育委員会 1984, 390 地蔵菩薩半跏像
  25. ^ 世田谷区立郷土資料館 1982, 第3集『絵画・彫刻II・目録編』
  26. ^ 一躯、江戸時代[24][25]
  27. ^ 世田谷教育委員会 1984, p. 108, (271番)板碑、密蔵院
  28. ^ 世田谷教育委員会 1984, p. 118, (716番-720番)
  29. ^ 『現存板碑集成』 1984, 「密蔵院」
  30. ^ (pdf) 『冊子2』世田谷区教育委員会、19頁https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/010/003/002/d00029491_d/fil/sasshi_2_P12_P19.pdf。"「イロハモミジ」密蔵院 桜上水 2-24 葉が7つに分かれることが多く、「いろはにほへと」と数えたことが名前の由来です。"。 

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