親族の自害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)
四十七士の一人である間十次郎の妻は、討ち入り後、赤穂浪士たちの墓の前で十次郎の後を追って自害したという伝説がある。 しかし史実ではそもそも間十次郎に妻はいない。 為永春水の『正史実伝いろは文庫』には討ち入りの際、四十七士の一人である武林唯七の妻が吉良を討つため捨て身で吉良を押さえたとあるが、史実では唯七にも妻はいない。 四十七士の一人である原惣右衛門が同志に入る際、惣右衛門の心残りにならないよう母が自害する話が伝わっている。 同じような話が四十七士の近松勘六、杉野十平次、武林唯七、および間十次郎と新六の兄弟にもある。 史実では惣右衛門の母は討ち入り4か月前の8月に病死しているのに室鳩巣が『赤穂義人録』の中で誤伝したのがそもそもの始まりらしい。 間十次郎の母は史実では二十八年前に亡くなっている。
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