見立錫鉱山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 13:36 UTC 版)
大正13年(1924年)に宮崎県の旧延岡藩主内藤政挙子爵より、見立錫鉱山と大分県内の木浦鉱山の鉱山権を取得して、龍三鉱業合資会社を設立する。大正14年(1925年)6月に大阪から活動の本拠地を帝国ホテルにおいて、見立鉱山開発のためにイギリスのアングロ・オリエンタル・マイニング・コーポレーション の資本を導入して、同社との合弁会社 Toyo Tin Limited をロンドンに設立する。またその子会社として、資本金100万円の東洋鉱山株式会社を設立した。昭和2年(1927年)から錫精鉱の生産を開始する。昭和6年(1931年)の満州事変を契機に、軍需産業の拡大により錫精鉱の需要は増大し、錫精鉱556tの実績を示して量産体制となった。
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