要塞の破壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/12 16:17 UTC 版)
バルセロナ市民の、スペイン中央政府に対する憎悪の象徴であった要塞は、1841年に監視委員会が廃止を決定した。しかし2年後、摂政マリア・クリスティーナは要塞全体を壊さずに復興するよう命じた。フアン・プリム将軍はバルセロナ市へ資金を提供した。しかし、1868年革命(en)でイサベル2世が退位させられたために、要塞の廃止が決定され、軍の刑務所として使用されていたサン・ジュアン塔から壊され始めた。現在、要塞の原型として残るのは、礼拝堂、総督邸宅、工廠(現在は自治州議会所有)しかない。
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