西郷隆盛暗殺計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)
1月30日、私学校幹部の篠原国幹・河野主一郎・高城七之丞ら七名は会合し、谷口登太に中原ら警視庁帰藩組の内偵を依頼し、同日暮、谷口報告により中原らの帰郷が西郷暗殺を目的としていることを聞いた。 篠原・淵辺群平・池上四郎・河野主一郎ら私学校幹部は善後策を話し合い、小根占で狩猟をしていた西郷隆盛の元に彼の四弟の西郷小兵衛を派遣した。また、弾薬掠奪事件を聞き、吉田村から鹿児島へ帰ってきた桐野利秋は篠原国幹らと談合し、2月2日に辺見十郎太ら3名を小根占へ派遣した。 西郷小兵衛と辺見から弾薬掠奪事件の顛末を聞いた西郷は「ちょしもたー」(しまった)との言葉を発し、暗殺計画の噂で沸騰する私学校徒に対処するため鹿児島へ帰った。帰る途中、西郷を守るために各地から私学校徒が馳せ参じ、鹿児島へ着いたときには相当の人数に上っていた。 2月3日、私学校党は中原ら60余名を一斉に捕縛し、苛烈な拷問が行われた結果、川路大警視が西郷隆盛を暗殺するよう中原尚雄らに指示したという「自白書」がとられ、多くの私学校徒は激昂して暴発状態となった。
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