西部防衛司令部
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西部防衛司令部(せいぶぼうえいしれいぶ)は、1937年から1940年まであった日本陸軍の組織である。防空のために日本の内地に3つ置かれた防衛司令部の一つで、九州地方と中国地方西部を管轄した。所在地は福岡県の小倉市(現在の北九州市)。西部軍司令部に転換して廃止された。
- ^ 第50条。『密大日記』昭和10年7冊の内第1号、「昭和10年軍備改変要領細則」 アジア歴史資料センター Ref.C01004045000 。リンク先の46コマめ。
- ^ 『永存書類乙集』第2類第1冊(昭和12年)、「西部防衛司令部新設工事の件」 アジア歴史資料センター Ref.C01002204700 、昭和12年6月23日、陸普第3700号。
- ^ 『官報』第3273号(昭和12年11月29日)。
- ^ 下に掲げた各年の『職員録』による。
- ^ 冊子には1月20日発行とある。山口県文書館「アーカイブズガイド(学校教育編)」の「空襲(家庭防空)」、2020年5月閲覧。国立国会図書館デジタルコレクションに、山本明史・和田秀作・金谷匡人「山口県文書館所蔵アーカイブズガイド : 学校教育編(2)」、『山口県文書館研究紀要』第39号、山口県発行、2012年、30頁として同じものがある。
- ^ 1938年11月の防空解除につき、『密大日記』第3冊(昭和13年)、「防空部隊配備変更に関する件」 アジア歴史資料センター Ref.C01004431800 。1939年11月の防空解除につき、『軍需動員に関する書類綴』、「86.防解第2号 昭和14年11月13日 防衛解除の件」 アジア歴史資料センター Ref.C12121523600 、防解第2号。1940年8月の防空解除につき、『陸支機密大日記』3冊のうち第3(昭和15年)、「防衛解除の件」 アジア歴史資料センター Ref.C01005900900 。
- ^ 『職員録』、昭和13年7月1日現在。
- ^ 『職員録』、昭和14年1月20日現在。
- ^ 『職員録』、昭和14年1月20日現在。
- ^ 『職員録』、昭和15年2月1日現在。
- 1 西部防衛司令部とは
- 2 西部防衛司令部の概要
- 3 参考文献
- 西部防衛司令部のページへのリンク