西田八郎とは? わかりやすく解説

西田八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 01:10 UTC 版)

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西田 八郎
にしだ はちろう
生年月日 1922年2月14日
出生地 滋賀県
没年月日 (2009-09-26) 2009年9月26日(87歳没)
所属政党 民社党

選挙区 滋賀県全県区
当選回数 5回
在任期間 1969年12月27日 - 1972年11月13日
1976年12月5日 - 1986年6月2日
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西田 八郎(にしだ はちろう、1922年2月14日 - 2009年9月26日)は、日本の政治家。元民社党所属の衆議院議員(5期)。元ゼンセン同盟滋賀県支部長[1]

来歴・人物

滋賀県生まれ。全繊同盟のオルグとして1954年の近江絹糸争議を戦った[2]

1969年第32回衆議院議員総選挙滋賀県全県区民社党から出馬し、初当選。1972年第33回衆議院議員総選挙では、自由民主党の現職草野一郎平と1648票差で落選した。

1976年第34回衆議院議員総選挙で返り咲き、以後4期務める。1979年、民社党機関紙局長。

1986年第38回衆議院議員総選挙は不出馬。後継者として滋賀県知事の武村正義に話を持ちかけるが相手にされず[3]、武村は自民党公認で立候補しトップで当選した。西田の後継に選ばれたのは東レ従業員の川端達夫で、川端は定数5のところ5位で初当選を果たした。

1992年勲二等瑞宝章受章。また、滋賀県日中友好協会理事長を務めた。2009年9月26日、敗血症のため大津市の病院で死去。87歳没。

元秘書

脚注

  1. ^ ゼンセンOB友の会 結成の経緯 西田八郎
  2. ^ 高畠通敏 『地方の王国』潮出版社、1986年6月5日、199頁。
  3. ^ 高畠通敏 『地方の王国』潮出版社、1986年6月5日、211頁。

参考文献

  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年11月)

西田八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 17:38 UTC 版)

迷走地図」の記事における「西田八郎」の解説

衆議院院内紙の記者だが、実際新聞持たない情報屋。詩を心の支えにしている。

※この「西田八郎」の解説は、「迷走地図」の解説の一部です。
「西田八郎」を含む「迷走地図」の記事については、「迷走地図」の概要を参照ください。

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