西洋医事集成の翻訳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 22:35 UTC 版)
橋本は蘭学書翻訳の集大成として西洋医事集成の翻訳に取り掛かった。本書は当初、本草部24巻、薬方部5巻、製薬部6巻、治病部15巻の合計50巻とする予定であった。推敲の末、本草編と治病編の二編として合わせて35巻までとし、更に序文や総目次などを載せた首冊1巻を加えた。文化11年(1814年)、『西洋医事集成宝函』の出版を願い出て、文化13年(1816年)に許可が下り、文政4年まで出版が続けられた。 その後、加筆訂正が続けられたが、全巻の出版をみずに、橋本は大阪を去った。
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