西念寺 (佐久市)とは? わかりやすく解説

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西念寺 (佐久市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 02:47 UTC 版)

西念寺
所在地 長野県佐久市岩村田1188[1]
位置 北緯36度16分24秒 東経138度28分38秒 / 北緯36.27333度 東経138.47722度 / 36.27333; 138.47722座標: 北緯36度16分24秒 東経138度28分38秒 / 北緯36.27333度 東経138.47722度 / 36.27333; 138.47722
山号 一行山[2]
宗旨 浄土宗[2]
本尊 阿弥陀如来[2]
創建年 永禄3年(1560年[2]
開山 岌往[2]
法人番号 3100005003092
西念寺
西念寺 (長野県)
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西念寺(さいねんじ)は、長野県佐久市岩村田にある寺院浄土宗知恩院京都府京都市東山区)の末寺山号一行山[1][2]

歴史

永禄3年(1560年)、岌往により開山。信濃国五カ寺の宗頭となる。牧野氏菩提寺[2]

境内

  • 本尊 - 阿弥陀如来坐像
    • 1959年(昭和34年)、長野県宝に指定。藤原末期、定朝様式の一典型。像高は半丈六を超える。膝の裏に墨書による修理銘がある。それによると年代は永禄6年(1563年)、願主は岌往(生蓮社)・円誉(相蓮社)、大工は宗観・即阿弥[2]。佐久市の伊勢林あたりで雨ざらしとなっていたという伝承がある[3]
  • 仙石氏 - 小諸城主・仙石秀久は岌往と親交をもっていた[2]
  • 吉沢好謙の墓[2]
  • 岩村田五代目藩主内藤美濃守正国公の墓

伝承

  • 西念寺には蛇が棲んでいない。開山後4代目となる住職・岌円和尚が法力にて封じたためだという[4]
  • 仙石秀久の墓と囲いを同じくして、弟の内膳正正直の墓がある。乱暴者で秀久の怒りを買い、相木(南佐久郡)の谷に閉じ込めた。食事も満足に与えられず、心配した母が西念寺恵頓和尚に嘆願し、正直を本堂裏の「養真庵」に住まわせたが、若くして亡くなったという[5]
  • 現在の群馬県藤岡市にある西念山一行寺は、かつて岩村田藩の悪政から逃れ移り住んだ人々が、岩村田の一行山西念寺にちなんで建てたもの[6]

交通アクセス

公共交通機関
JR小海線岩村田駅から徒歩5[1]
自家用自動車
上信越自動車道佐久インターチェンジから2キロメートル自動車で5分間[1]

脚注

  1. ^ a b c d さわやか信州旅.net 西念寺”. 長野県観光機構. 2017年6月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『日本歴史地名大系 20 長野県』111ページ。
  3. ^ 『限定復刻版 佐久口碑伝説集 北佐久篇』61ページ。
  4. ^ 『限定復刻版 佐久口碑伝説集 北佐久篇』198ページ。
  5. ^ 『限定復刻版 佐久口碑伝説集 北佐久篇』282ページ。
  6. ^ 『限定復刻版 佐久口碑伝説集 北佐久篇』70ページ。

参考文献

関連項目

外部リンク




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