衝突のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 09:51 UTC 版)
「ザクセン戦争 (ハインリヒ4世)」の記事における「衝突のはじまり」の解説
ランペルト・フォン・ヘルスフェルト(ドイツ語版)の年代記によれば、1073年6月29日、皇帝に対しザクセン貴族達はゴスラーの皇帝居城(de)で処遇改善を訴えようとしたが、ハインリヒ4世はこれを拒否し、ザクセン軍が大挙して取り囲むなかを近くのハルツ城に逃げ込んだ。 ザクセン軍を指示したのは前のバイエルン大公でザクセン大公マグヌスと同盟していたオットー・フォン・ノルトハイムとハルバーシュタットの司教バーチャード2世(ドイツ語版)であった。しかし、皇帝は同年8月10日に首尾よく囲みを脱した。 皇帝は最初エシュヴェーゲを目ざし、そこからヘルスフェルト(ドイツ語版)を越えて南ドイツに移ろうとした。しかし、準備の足りなかったハインリヒは、そこではザクセンに対抗して動いてくれる帝国および皇帝を支持する勢力を見いだすのは難しかった。
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