行心とは? わかりやすく解説

行心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/07 09:01 UTC 版)

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行心(ぎょうしん/こうじん、生没年不詳)は、飛鳥時代新羅からの渡来人

記録

日本書紀』巻第三十によると、朱鳥元年(686年)10月の大津皇子の謀反の企みに加担したとして30余人が捕縛され、行心もその一人であったが[1]、彼らの多くは大津に縁坐したものとして赦免され、行心も罪するには忍ばずとして、飛騨国の伽藍に移された、とある[2]

懐風藻』によると、天文・卜筮を解したとされ、大津皇子に「太子の骨法これ人臣の相にあらず、これをもって久しく下位に在るは恐らくは身を全うせざらん」と告げて逆謀を勧めた、とあり、「姧豎」(かんじゅ)と罵られている[3]

続日本紀』巻第二に現れる僧の隆観は、「流僧(るそう)幸甚が子なり」とあるが、「幸甚」は「行心」ではないか、とされている[4]

脚注

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  1. ^ 『日本書紀』持統天皇 称制前紀(朱鳥元年)10月2日条
  2. ^ 『日本書紀』持統天皇 称制前紀(朱鳥元年)10月29日条
  3. ^ 『懐風藻』「大津皇子」伝より
  4. ^ 『続日本紀』文武天皇、大宝2年4月8日条

参考文献


行心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:27 UTC 版)

宇宙皇子 地上編」の記事における「行心」の解説

金剛山を疎ましく思う宮廷から送り込まれ間者新羅縁のある人物で、後に金剛山去り大津皇子謀反濡れ衣を着せられ一因となる。そのため、宇宙皇子からは激しく憎悪され、作中では少年期皇子死闘演じる。

※この「行心」の解説は、「宇宙皇子 地上編」の解説の一部です。
「行心」を含む「宇宙皇子 地上編」の記事については、「宇宙皇子 地上編」の概要を参照ください。

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