血族による統治政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 03:57 UTC 版)
「オットー1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「血族による統治政策」の解説
オットー1世は当主を喪ったフランケン大公領を自らの直轄地とした。危機を救ってくれたヘルマン1世に対しては、その幼い娘イーダを未だ10歳にみたない自らの嫡子リウドルフと婚約させ、将来の王妃の地位を約束することによって彼の労に報いた。実は、これは将来シュヴァーベン大公領を息子の手中に入れることを目的としたもので、オットー1世の新たな政略の一環であった。大公領をすべて自分の近親者に治めさせることで、再度の反乱を防ぎ、王国の統一を図ろうとしたのである。その後944年には、娘リウトガルトの婿であるヴォルムス伯およびフランケン大公のコンラート赤毛公(コンラート赤公とも、ザーリアー朝の中興の祖)にロートリンゲン大公の地位を与えている。 947年、オットー1世は母の懇願を容れてハインリヒを許した。ハインリヒはオットー1世に恭順を誓い、以後はその片腕として活躍するようになる。オットー1世は彼にバイエルン大公の地位を与えた。こうして、本来の直轄領であったザクセンに加え、フランケン、シュヴァーベン、ロートリンゲン、バイエルンの全ての大公領はオットー1世とその近親者の掌中に収められた。
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