蟹江城合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:20 UTC 版)
6月16日に滝川一益が九鬼嘉隆の安宅船と共に、信雄の長島城と家康の清州城との中間にあった蟹江城、下市場城、前田城を海上機動にて落城させると、織田信雄・徳川家康は即日反応し、7月3日には全て落城せしめ、一益は船で伊勢に逃れた(蟹江城合戦)。秀吉は戦地に居なかったため対応が遅れ、伊勢に羽柴秀長、丹羽長重、堀秀政ら6万2千の兵を集め、7月15日に尾張の西側から総攻撃を計画したものの、蟹江城が落城した為中止となった。
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