藤田鉄工所とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤田鉄工所の意味・解説 

藤田鉄工所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/20 19:25 UTC 版)

藤田鉄工所(ふじたてっこうしょ)は、1950年代まで愛知県名古屋市に存在したオートバイメーカーである。

熱田砲兵工廠の技術者だった藤田精次郎が1912年7月に独立開業したのが始まりであり、開業当初は自転車附属品の製造販売が主だった[1]。1920年代に合資会社藤田鉄工所に改組した後、1939年に株式会社藤田鉄工所となる[2]

1935年歯車形削り盤の国産化に成功し、商工省主催の工作機械工業振興展覧会にも出品している[3][4]1936年時点で50人の職工を擁し、名古屋市の主力機械製造工場の一つに数えられていた[5]陸軍航空本部管理工場でもあった[2]

戦後は軍需分野から事業を転換、藤田鑑が社長となり、1948年からオートバイ開発に着手する[2][6]。なお、1946年に藤田産業株式会社と商号を変更したが、1952年に再び株式会社藤田鉄工所へと商号を戻している[2]

1950年にオートバイ「オートビット」の販売を開始する[6]。オートビットは、1952年3月に開催された名古屋TTレースでチーム賞8位、同年7月に開催された富士登山軽オートバイレースで1位に入賞するなどの記録を残す[6][7]

国産オートバイメーカーとして一定の存在感を示していたが、ホンダヤマハなどとの市場争いに入り込めず業績不振に陥り、1958年に1億円超の負債を抱えて倒産する[6]。同年にオートビット事業を承継したオートビット自動車工業株式会社が設立されるが[8]、翌1959年伊勢湾台風によって工場が浸水し、以降、オートビットの生産は途絶える[6]

脚注

参考文献

書籍

論文




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  藤田鉄工所のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤田鉄工所」の関連用語

藤田鉄工所のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤田鉄工所のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤田鉄工所 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS