藤原詮子とは? わかりやすく解説

藤原詮子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 21:31 UTC 版)

藤原 詮子(ふじわら の せんし/あきこ、応和2年(962年) - 長保3年閏12月22日1002年2月7日))は、平安時代中期、第64代天皇円融天皇女御一条天皇の母(国母)。院号東三条院(ひがしさんじょういん)。


注釈

  1. ^ 詮子が道長を「我御子と聞え給ひて」と、あたかも道長を自分の子として扱ったような記述もある[3]。道長が実際に詮子の養子猶子だった事実はないが、道長が詮子の没後に両親と同様に彼女を手厚く供養を続けたことが確認できる[4]
  2. ^ 表向きの理由は詮子が道長の土御門殿に同居させて貰っていることに対する謝意による推挙である[7]

出典

  1. ^ 大鏡
  2. ^ 藤原詮子『円融院御集』47番
  3. ^ 『栄花物語』巻3
  4. ^ 『御堂関白記』
  5. ^ 服藤 2017, pp. 159–160, 「国母の政治文化-東三条院詮子と上東門院彰子-」.
  6. ^ 服藤 2017, p. 75, 東海林亜矢子「摂関期の后母-源倫子を中心に-」.
  7. ^ 野口孝子「摂関の妻と位階-従一位源倫子を中心に-」『女性史学』5号、1995年。 /所収:倉本一宏 編『王朝時代の実像1 王朝再読』臨川書店、2021年、309頁。ISBN 978-4-653-04701-8 
  8. ^ 『御堂関白記』長和4年7月14日条
  9. ^ 桃裕行 著「忌日考」、伊東多三郎 編『国民生活史研究』 5巻、吉川弘文館、1962年。 /所収:『桃裕行著作集』 4巻、思文閣出版、1988年。 


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