藤原忠頼
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藤原 忠頼(ふじわら の ただより、生年不詳 - 康治2年12月13日(1144年1月19日))は、平安時代後期の貴族。藤原北家御堂流、大納言・藤原能実の子。官位は正四位下・右近衛中将。
経歴
白河院政期末の大治2年(1127年)左近衛少将に任ぜられる。鳥羽院政期に入ると大治5年(1130年)右近衛少将に遷るが、その後は長承4年(1135年)までに従四位下、保延3年(1137年)従四位上、保延6年(1140年)右近衛中将、康治元年(1142年)正四位下と近衛次将を務めながら昇進を重ねた。またこの間、伊予介・近江介と地方官も兼ねている。
官歴
- 大治2年(1127年) 12月27日:左近衛少将[1]
- 大治5年(1130年) 正月6日:見五位[1]。4月3日:右近衛少将[1]
- 長承4年(1135年) 正月26日:兼伊予介[2]。2月17日:見従四位下[1]
- 保延3年(1137年) 正月5日:従四位上[1]
- 保延5年(1139年) 正月24日:止介[2]
- 保延6年(1140年) 4月3日?:右近衛中将[2]
- 康治元年(1142年) 11月14日:正四位下(大嘗会悠紀国司)、見近江介[3]
- 康治2年(1143年) 正月27日:兼近江介[3]。12月13日:卒去[3]
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
参考文献
- 藤原忠頼のページへのリンク