藤原光俊_(御子左流)とは? わかりやすく解説

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藤原光俊 (御子左流)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/23 04:14 UTC 版)

藤原 光俊(ふじわら の みつとし、治承3年(1179年) - 没年不詳)は、鎌倉時代公家藤原北家御子左流参議藤原光能の三男[1]官位従二位大宰大弐

経歴

後白河院政期末の建久元年(1190年叙爵。建久5年(1194年一条高能の申任により讃岐守任ぜられ、これを建久10年(1199年)まで務めた。

その後しばらく散位となり、承元元年(1207年宮内少輔に任ぜられるが、翌承元2年(1208年)従五位上への昇叙に際してこれを止められ、承元5年(1211年)には左京権大夫に任官するも、翌建暦2年(1212年正五位下への叙位に際して再び官職を停められるなど、後鳥羽院政期では官職に恵まれなかった。

承久3年(1221年承久の乱終結後まもなく院分で丹波守に任ぜられると、同年中に従四位上・右馬頭、翌承久4年(1222年正四位下右兵衛督に叙任されるなど、後高倉院政期に入ると次々と官職を得て昇進。元仁元年(1224年)には従三位に叙せられて公卿に列した。

父・光能と異なり参議任官は叶わなかったが、その後も右兵衛督を務め、安貞2年(1228年正三位に昇叙されている。寛喜3年(1231年)子息の光成を右近衛少将に任じる代わりに、光俊は右兵衛督から大宰大弐に遷る。嘉禎2年(1236年)大弐の任を終えると従二位への叙位を受けた。

建長元年(1249年)8月16日に71歳で出家した。法名は静空。

官歴

公卿補任』による。

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

  1. ^ 『公卿補任』

参考文献




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