薙染と近江落居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 05:13 UTC 版)
永享元年(1429年)播磨で生まれる。4歳の時、京の相国寺常徳院の英叟に僧童として仕える。嘉吉元年(1441年)3月、英叟の師・曇仲道芳の三十三回忌にあたり、13歳にして東山養源院において頂相を拝して師資の礼を結び、薙染(剃髪染衣)した。13歳、3月、三十三回忌など「三」という数にまつわる因縁が深いため「景三」の法諱を与えられた。龍淵本珠・瑞渓周鳳・春渓洪曹らに教えを受け、学問に励む。 応仁の乱の勃発に際し、友人桃源瑞仙とともに戦火を避けて近江に移り、同国の豪族小倉実澄の帰依を受け、永源寺内に識廬庵を結んで居住した。文明4年(1472年)には京へ戻る。管領細川勝元が相国寺内に創建した小補軒を与えられ、そこへ住む。文明10年(1478年)2月等持寺の住持となり、同3月曇仲の法を嗣いだ。文明12年(1478年)には相国寺の住持(この後も2度務める)。同18年には相国寺開山の夢窓疎石をまつる崇寿院(開山塔)の塔主に遷任。
※この「薙染と近江落居」の解説は、「横川景三」の解説の一部です。
「薙染と近江落居」を含む「横川景三」の記事については、「横川景三」の概要を参照ください。
- 薙染と近江落居のページへのリンク