菅季治の自殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 03:13 UTC 版)
これに関連し、抑留時にソ連将校の講話を通訳していた哲学者菅季治は、件の発言は政治部エルマーエフ上級中尉によるものであったとして、「いつ諸君が帰れるか、それは諸君自身にかかつている。諸君はここで良心的に労働し、真正の民主主義者となるとき諸君は帰れるのである。日本共産党書記長徳田は、諸君が反動分子としてではなく、よく準備された民主主義者として帰国することを期待している」と訳したと証言した。共産党機関紙『アカハタ』はこれをもって「徳田要請は否定された」と主張し、さらには「日本共産党に対し悪意をもつもの、また当時帰国の不安にかられていた久保田ら前職者たちにとって、オクソクから悪質なデッチあげに走るとは考えられることだ」と書き立てた。 このため4月5日に菅は衆議院に証人喚問された。ここで"期待"の訳をめぐって、「日本語からロシヤ語をつくつたような感じがする文章」との専門家コメントなどが持ち出され、アクチーヴであった過去や天皇制反対の思想と絡めて厳しい質問を浴びた菅は、翌日鉄道に飛び込み自殺した。
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