荒廃と修復作業、そして保全と公開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 22:04 UTC 版)
「ドゥーン城」の記事における「荒廃と修復作業、そして保全と公開」の解説
城は戦乱の世を経てどんどんと荒廃していき、1800年までには屋根のない廃墟になってしまった。マリー伯爵家は代々ドゥーン城を居城にしていたが、第10代マリー伯爵、フランシス・ステュアート(英: Francis Stuart, 10th Earl of Moray、1771年 - 1848年)の代で近くに屋敷を建て、城を引き払っている。城の荒廃は、1880年代に第14代マリー伯爵、ジョージ・ステュアート(英: George Stuart, 14th Earl of Moray、1816年 - 1895年)が修理を開始するまで続いた。板張りの屋根は葺き替えられ、領主館(英: Lord's Hall)の羽目板など、家具調度品も据え付けられた。 城は1971年10月に、カテゴリAの指定文化財(英: Category A listed building) (Listed building) に指定されている。このカテゴリAとはスコットランドの重要建築物に対する最高の保護レベルである。また同時に、城の管理人用コテージがカテゴリBの指定文化財となっている。 1984年にダグラス・ステュアート (第20代マリー伯爵)(英語版)によって寄付されたことから、現在城は寄付を受けたヒストリック・スコットランド(英語版)によって管理されており、一般公開も行われている。 2011年には、ドゥーン城として英国の "Scheduled monument" (en) に指定された。
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