荒廃寺の救済と紛争の解決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 03:15 UTC 版)
「福田太郎八」の記事における「荒廃寺の救済と紛争の解決」の解説
太田村の隣村にある蜂屋村の臨済宗妙心寺派に属する名刹の経営が危うくなり、荒廃したことがあった。檀家が微力であったこともあって、収拾がつかなくなったとき、幸周は復興に役立てるようにと祠堂金として壱千圓を納めた。以後、この寺は福田氏に対して特別の尊敬を払い、現在も徳川4代将軍(家康、秀忠、家光、家綱)と藩主・徳川慶勝の位牌と共に、幸周の位牌を並列して祀っている。 太田村付近の村民は、村落で紛争が起こると競って福田家の門へ走り、幸周に解決策を求めた。特に、加茂・可児2郡全域と稲葉・武儀2郡の一部に亘って数々の紛争解決を行った。その際の不偏不党の精神と公明正大の態度は、常に双方に満足を与えるものであった。
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