荏子田横穴
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荏子田横穴 | |
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荏子田横穴の外観(2010年9月)
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別名 | かんかん穴 |
所在地 | 神奈川県横浜市青葉区荏子田一丁目7番地1 荏子田朝日公園内 |
位置 | 北緯35度34分46.0秒 東経139度32分39.5秒 / 北緯35.579444度 東経139.544306度座標: 北緯35度34分46.0秒 東経139度32分39.5秒 / 北緯35.579444度 東経139.544306度 |
形状 | 横穴墓 |
規模 | 【1号墓】全長7.23メートル、長さ3.56メートル、幅2.87-3.18メートル、高さ2.18メートル 【2号墓】全長3.67メートル、長さ2.7メートル、最大高1.1メートル[1] |
出土品 | なし |
築造時期 | 1号墓:7世紀前半 2号墓:7世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
史跡 | 横浜市指定史跡 |
埋蔵文化財 包蔵地番号 |
県:青葉区№28 市:青葉区№46 |
地図 |
荏子田横穴(えこだおうけつ)は、神奈川県横浜市青葉区荏子田一丁目にある2基の横穴墓。横浜市指定史跡[1]。通称「かんかん穴」。
概要

鶴見川の支流・早渕川上流右岸の、標高約45メートルの丘陵南側に切り込む通称「船頭谷」と呼ばれる谷戸地の南西斜面に位置し、この地域の基盤層である上総層群に掘り込まれている。
1号墓と2号墓が存在し、1928年(昭和3年)に発見・学会に紹介され、1956年(昭和31年)5月に発掘調査が行われた。
1号墓の玄室は、切妻造屋根の家屋を象った特異な形状で、中には柱や棟木、桁の浮き彫りが施されている。このような家形玄室は、鶴見川流域の多くの横穴墓の中でも形態上極めて珍しい例であり、県内の横穴墓の中でも年代的に古く、7世紀前半代に造られたこの地域の有力者の墓と考えられている[2]。
なお、当横穴墓と類似の家形玄室を持つ横穴墓は、周辺では東京都町田市の下三輪玉田谷戸横穴墓群の1号墓・3号墓が知られる[3]。
2号墓は、1号墓の羨門の正面向かって右上に開口しており、1号墓より小さく、平面形は丸みの強い楕円形を呈し、天井部形態はドーム型である。1号墓より新しい7世紀後半代のものと推定される。
1993年(平成5年)11月1日に横浜市指定史跡となった[1]。
現在は、荏子田朝日公園として整備・保存されているが、横穴は天井崩落の危険性もあり、柵で囲われていて内部を見学することはできない。
脚注
- ^ a b c 横浜市教育委員会 1993, pp. 27–32.
- ^ “荏子田横穴”. 横浜市青葉区 (2018年10月22日). 2021年2月1日閲覧。
- ^ 生涯学習部 生涯学習総務課 (2024年1月29日). “三輪・能ヶ谷の横穴墓群”. 町田市. 2025年3月29日閲覧。
参考文献
- 横浜市教育委員会「荏子田横穴」『横浜市指定・登録文化財編 横濱の文化財』横浜市〈第3集〉、1993年、27-32頁。 NCID BN10222285。
関連項目
外部リンク
- 荏子田横穴 - 横浜市ホームページ
画像外部リンク | |
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