荏名神社とは? わかりやすく解説

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荏名神社

読み方:エナジンジャ(enajinja)

教団 神社本庁

所在 岐阜県高山市

祭神 高皇産霊神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

荏名神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 06:24 UTC 版)

荏名神社
所在地 岐阜県高山市江名子町1290
位置 北緯36度8分7.7秒 東経137度16分13.7秒 / 北緯36.135472度 東経137.270472度 / 36.135472; 137.270472座標: 北緯36度8分7.7秒 東経137度16分13.7秒 / 北緯36.135472度 東経137.270472度 / 36.135472; 137.270472
主祭神 高皇産靈神
荏名大神
社格 式内社(小)・郷社・銀幣社[1]
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荏名神社(えなじんじゃ)は、岐阜県高山市江名子町にある神社である。式内社飛騨国大野郡 荏名神社」の論社で、旧社格郷社

祭神

祭神高皇産靈神と荏名大神である。『神名帳考證』では大屋津姫命としている。中世までは「稲置森子安大明神」と称し、安産の神とされていた。『古事記』の開化天皇紀に「山代之荏名津比売」の文言が見えるが、当社との関係は不明である。

歴史

創建の由諸は不詳である。延喜式神名帳に「飛騨国大野郡 荏名神社」と記され、小社に列しているが、後に衰廃し、所在は不明となっていた。

文化12年(1815年)、高山の国学者田中大秀が、江名子町の稲置(いなき)の森にあった子安大明神(子安観音堂)[1]を、「荏名」が「胞衣」(胎盤)と解されたためだとして式内・荏名神社に比定し、自らが神主となり荏名神社に改称して再興した[1]。明治4年9月に郷社に列格した[1]

なお、式内・荏名神社は江名子町4946の荒神社に比定する説もある。

文化財

  • 荏野文庫土蔵(岐阜県指定史跡)[2] 田中大秀の文庫蔵。
  • 荏名神社神橋 附田中大秀筆設計図(高山市指定文化財 建造物)[3]

脚注

  1. ^ a b c d 土田 1987, p. 467.
  2. ^ 荏野文庫土蔵”. 岐阜県. 2013年5月10日閲覧。
  3. ^ 荏名神社神橋 附田中大秀筆設計図”. 高山市. 2013年4月20日閲覧。

参考文献

  • 土田吉左衛門 編『飛騨の神社』飛騨神職会、1987年。 

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