下三輪玉田谷戸横穴墓群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/07 15:52 UTC 版)
下三輪玉田谷戸横穴墓群(しもみわ ぎょくだやと よこあなぼぐん)、または玉田谷戸横穴墓群(ぎょくだやとよこあなぼぐん)は、東京都町田市三輪町に所在する古墳時代後期から終末期(飛鳥時代)にかけての横穴墓群。東京都指定史跡に指定されている[1]。
概要
神奈川県川崎市麻生区麻生(上麻生・下麻生)地域から東京都町田市三輪町・能ヶ谷地域を含む一帯は、多摩丘陵を鶴見川上流域の小支谷が枝状に開析することで複雑な谷戸地形を形成しており、これらの丘陵から谷戸にくだる岩盤の斜面に、数多くの横穴墓群が造営された地域として知られる[3]。下三輪玉田谷戸横穴墓群の周辺には、三輪白坂横穴墓群や西谷戸横穴墓群が所在し[1]、さらに丘陵を隔てて東に隣接する神奈川県横浜市青葉区寺家町には寺家古墳群に付属する横穴墓が存在する[4]。
下三輪玉田谷戸横穴墓群は1927年(昭和2年)に発見された。これまでに4基の横穴墓が確認されており、6世紀末から7世紀にかけて造営されたと推定されている[1]。
この内、1号墓と3号墓は、玄室の天井部を三角形に削り出し、浮き彫りで切妻造の家屋屋根を模したとみられる「家形玄室」を持ち、全国的にも希少な事例とされる[1]。このような家形玄室をもつ横穴墓の事例は、周辺地域では神奈川県横浜市青葉区の荏子田横穴(横浜市指定史跡)が知られる[5]。
2008年(平成20年)3月26日に東京都指定史跡に指定され[6]、フェンスで囲い保護されているが、見学用の歩道等は整備されていない[1]。
脚注
- ^ a b c d e 生涯学習部 生涯学習総務課 (2024年1月29日). “三輪・能ヶ谷の横穴墓群”. 町田市. 2025年3月29日閲覧。
- ^ 東京都地域教育支援部管理課. “東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス”. 東京都教育委員会. 2025年3月29日閲覧。
- ^ 東京遺跡散策会 2022, p. 27.
- ^ 横浜市緑区 1985, p. 91.
- ^ 青葉区 総務部 区政推進課 (2018年10月23日). “荏子田横穴”. 横浜市. 2025年3月29日閲覧。
- ^ 生涯学習部 生涯学習総務課 (2025年3月27日). “町田市の文化財一覧”. 町田市. 2025年3月29日閲覧。
参考文献
- 東京遺跡散策会「西谷戸横穴墓群」『関東・甲信越日本の古代遺跡案内 : 旧石器~平安時代の歴史を紐解く』メイツユニバーサルコンテンツ、2022年4月30日、27頁。ISBN 9784780426113。
- 横浜市緑区「寺家町所在の横穴」『横浜緑区史』横浜市緑区、1985年7月15日、91頁。 NCID BN09184065。
関連項目
外部リンク
画像外部リンク | |
---|---|
![]() |
座標: 北緯35度34分13.7秒 東経139度30分00.8秒 / 北緯35.570472度 東経139.500222度
- 下三輪玉田谷戸横穴墓群のページへのリンク