草倉銅山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 13:17 UTC 版)
草倉銅山 | |
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所在地 | |
所在地 | 東蒲原郡両鹿瀬村 |
県 | 新潟県 |
国 | 日本 |
座標 | 北緯37度43分42秒 東経139度28分07秒 / 北緯37.72833度 東経139.46861度座標: 北緯37度43分42秒 東経139度28分07秒 / 北緯37.72833度 東経139.46861度 |
生産 | |
産出物 | 銅 |
歴史 | |
開山 | 1739年(元文4年)[1] |
閉山 | 1914年 |
プロジェクト:地球科学/Portal:地球科学 | |
草倉銅山(くさくらどうざん)は、新潟県東蒲原郡両鹿瀬村(現在の阿賀町鹿瀬)にあった銅山(銅の鉱山)。1914年(大正3年)に閉山した[2]。
歴史
江戸期には発見されていたという[2]。1875年(明治8年)に古河市兵衛が津川の商人・平田治八郎から経営権を買い取り、本格開発が始まった[2]。鉱山ふもとの角神(つのがみ)には製錬所や河港が整備された[2]。精銅は阿賀野川を利用して帆掛け船で各地へ運ばれた[3]。1883年(明治16年)には別子銅山に次ぐ国内第2位の産出量となったが枯渇が進み、1914年(大正3年)に閉山となった[2]。
跡地には建物は残っていないが[4]、石垣等の遺構や無縁墓が残る[1]。角神の精錬所跡は鹿瀬ダムに沈んでいる[5]。
操業時は煙害等の問題も発生しており、津川出身の郷土史家、赤城源三郎は、「草倉銅山こそ公害の原点である」と指摘している[1]。
脚注
- ^ a b c “パネル展 草倉銅山の光と影~鉱山に魅せられた人々~”. 阿賀野川え~とこだプロジェクト事務局. 2025年6月7日閲覧。
- ^ a b c d e “阿賀の近代産業”. 阿賀の学習教材サイト. 一般社団法人あがのがわ環境学舎. 2025年6月7日閲覧。
- ^ “【阿賀町鉱山特集・中編】「ナニコレ珍百景」で放映された阿賀町・持倉銅山だけじゃない!~草倉銅山パネル作品の紹介♪”. 阿賀野川え~とこだプロジェクト事務局. 2025年6月7日閲覧。
- ^ 「特集「無類の宝山」草倉銅山が残したもの」『阿賀野川え~とこだより』創刊号、新潟県、2010年1月15日。
- ^ “文化財紹介 草倉銅山跡”. 鹿瀬町. 2025年6月7日閲覧。
関連項目
- 草倉銅山のページへのリンク