若江鏡神社とは? わかりやすく解説

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若江鏡神社

読み方:ワカエカガミジンジャ(wakaekagamijinja)

教団 神社本庁

所在 大阪府東大阪市

祭神雷槌大神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

若江鏡神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/30 10:08 UTC 版)

若江鏡神社
所在地 大阪府東大阪市若江南町2丁目3-9
位置 北緯34度39分10.4秒 東経135度36分13.6秒 / 北緯34.652889度 東経135.603778度 / 34.652889; 135.603778 (若江鏡神社)座標: 北緯34度39分10.4秒 東経135度36分13.6秒 / 北緯34.652889度 東経135.603778度 / 34.652889; 135.603778 (若江鏡神社)
主祭神 大伊迦槌大神、仲哀天皇神功皇后
社格 式内社(小)・旧郷社
創建 不詳
本殿の様式 三間社流造
例祭 10月10日
地図
若江鏡神社
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若江鏡神社(わかえかがみじんじゃ)は、大阪府東大阪市若江南町にある神社式内社で、旧社格郷社

祭神

歴史

創建年は不詳。『日本文徳天皇実録斉衡元年(854年)夏四月の条に「授河内国大雷火明神従五位下」と神階をすすめた記述があり、これが若江鏡神社のことと考えられている。当社は延長5年(927年)にまとめられた『延喜式神名帳』にも記載されている。

鎮座地の北側に若江城があった関係で、畠山政長から三好義継までの歴代城主から崇敬を受けている。

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際、5月6日の若江の戦いで兵火にかかり、社殿や神宝が焼失した。

江戸時代文政11年(1828年)に本殿が再建されている。

1872年明治5年)に郷社に列せられ、1908年(明治41年)1月には神饌幣帛料供進社の指定を受けている。

境内

  • 本殿(東大阪市指定有形文化財) - 文政11年(1828年)再建。文化文政時代に建てられた社殿建築として貴重である。一間社流造の社殿2棟の間に相殿を挟み込むという珍しい造りをしている。
  • 拝殿
  • 社務所
  • 鏡塚 - 神功皇后三韓征伐の帰途にここに立ち寄って鏡を埋めたという。
  • 遥拝所

摂・末社

文化財

東大阪市指定有形文化財

祭事

  • 例大祭 10月10日

参考文献

  • 社頭掲示板
  • 國井義典 『古社紀行 摂津・河内・和泉』和泉書院、1993年。ISBN 4870886154 


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