苗木城の奪還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 14:49 UTC 版)
当時、美濃苗木城の城主は河尻直次であったが、河尻は先に家康が東征の際に大坂城の警護を命ぜられ西軍に属し、大和口の守備に任にあたっていたため、苗木城は城代の関盛祥之が籠もって東軍に抵抗しようとした。本来の苗木城主遠山友政は家康の部将・菅沼定利のもとで食客に甘んじていたが、小山で家康に軍費ならびに鉄砲・弾薬などの軍需品を給されて、山村甚兵衛良勝、千村平右衛門良重、小笠原靱負、今泉五助らと共に苗木領に入った。従う者は奥田次郎右衛門、遠山次郎左衛門、伊藤五郎左衛門、井口善右衛門、井口與三左衛門、保母清右衛門、小倉猪右衛門、などである。次いで陶山茂左衛門、棚橋八兵衛、纐纈藤左衛門、伊藤太兵衛らが付属した。やがて中津川村や駒場村に放火し、また苗木付近の農民数百人を諭して味方にして真地平に陣を置き苗木城に迫った。関盛祥之は家臣の大塚将監、犬飼半左衛門、乗竹八右衛門らと共に苗木城を出て去った。これにより遠山友政は風吹門より入城し苗木城を奪還した。
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