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芳仲和太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/17 04:14 UTC 版)

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芳仲 和太郎(よしなか わたろう、1894年明治27年)3月27日[1][2] - 1983年昭和58年)11月4日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

愛媛県出身[1][2][3]。芳仲栄次郎の長男として生まれる[1]広島陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業[1][2][4]。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第19連隊付となる[1][4]。1920年(大正9年)2月から1921年(大正10年)5月までシベリア出兵に従軍[1]。台湾山砲兵第1連隊付などを経て、1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業し深山重砲兵連隊中隊長に就任した[1][2][3]

1926年(大正15年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員、フランス駐在を務め、1930年(昭和5年)8月、砲兵少佐に昇進[1]。1932年(昭和7年)6月に帰国し、同年8月、近衛野砲兵連隊大隊長に就任し、参謀本部員、トルコ大使館武官を務め、1935年(昭和10年)8月、砲兵中佐に進む[1][3]。1936年(昭和11年)7月、参謀本部員に発令され、同年11月に帰国[1][3]。1937年(昭和12年)8月、参謀本部欧米課長に就任し、1938年(昭和13年)3月、砲兵大佐に昇進[1][3]。同年7月、第14師団参謀長に発令され日中戦争に出征した[1][2][3]

1940年(昭和15年)2月、参謀本部付となり、同年3月、ハンガリー公使館付武官に発令された[1][2]。1941年(昭和16年)3月、陸軍少将に進級[1][3]。1942年(昭和17年)12月、西部軍参謀長に発令され、1943年(昭和18年)1月に帰国[1][2][3]。1944年(昭和19年)6月、陸軍中将に進んだ[1][2][3]。1945年(昭和20年)2月、第16方面軍参謀長となり、同年5月、第86師団長に親補され[1][2][3]鹿児島県志布志湾沿岸で本土決戦に備えるなかで終戦を迎えた[2]。同年12月、予備役に編入された[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『日本陸海軍総合事典』第2版、171-172頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』797頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』372頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』369、372頁。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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