西部軍管区 (日本軍)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/23 08:57 UTC 版)
西部軍管区(せいぶぐんかんく)は、1940年から1945年まであった大日本帝国陸軍の軍管区の一つである。
概要
西部軍管区とは西部軍の管轄区域であり、中国・四国・九州地方を管轄区域とする西部軍司令部が、軍管区内の軍隊を指揮・統率した。
西部軍は1945年(昭和20年)2月1日、第16方面軍の編成により廃止され、その後は第16方面軍司令部が西部軍管区司令部を兼ね九州地方[1]の軍政を統括した。
人事
- 姓名、階級、補職、免職の順に表示した。
- 司令官および参謀長は方面軍の職が本職、軍管区の職が兼職。
- 参謀副長および部長は軍管区の職が本職、方面軍の職が兼職。但し、兵務部長は軍管区の職であり、方面軍の職にはない。
西部軍管区司令官
西部軍管区参謀長
西部軍管区参謀副長
- 福島久作 大佐:1945年1月29日[5] - (本職)[注釈 2]
- 友森清晴 大佐:1945年6月1日[6] - (西部軍管区参謀副長職のみ)
- 江湖要一 少将:1945年9月13日[7] - 11月12日[8](西部軍管区参謀副長職のみ)
西部軍管区兵務部長
西部軍管区兵器部長
西部軍管区経理部長
西部軍管区軍医部長
- 堀内清真 軍医少将:1945年1月29日[5] - (本職)
西部軍管区獣医部長
- 草野清茂 獣医大佐:1945年1月29日[5] - (本職)
西部軍管区法務部長
脚注
注釈
出典
- ^ 中国・四国地方には、1945年(昭和20年)6月12日に中国軍管区司令部と四国軍管区司令部が設けられた。
- ^ a b c d 「陸軍異動通報 第24号 昭和20年2月1日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932700
- ^ a b 「陸軍異動通報 第3号 昭和20年10月20日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120947900
- ^ a b 「陸軍異動通報 第102号 昭和20年5月3日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120941300
- ^ a b c d e 「陸軍異動通報 第22号 昭和20年1月30日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932500
- ^ 「陸軍異動通報 第127号 昭和20年6月1日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120944100
- ^ 「陸軍異動通報 第2号 昭和20年9月30日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120944100
- ^ 「陸軍異動通報 第5号 昭和20年11月30日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120963500
- ^ a b 「陸軍異動通報 第74号 昭和20年3月31日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900
- ^ a b 「陸軍異動通報 第152号 昭和20年7月6日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120947300
- ^ a b 「陸軍異動通報 第158号 昭和20年7月16日(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12120963000
関連項目
- 西部軍管区 (日本軍)のページへのリンク

 
                             
                    



