花鳥画の「黄氏体」と「徐氏体」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)
「中国の絵画」の記事における「花鳥画の「黄氏体」と「徐氏体」」の解説
宋時代の花鳥画の画風には「黄氏体」と「徐氏体」があるといわれているが、これら両者の画風の具体的差異は必ずしも明らかではない。黄氏体は五代の画家・黄筌(こうせん)とその一族の画風、徐氏体は同じく五代の画家・徐熙(じょき)とその一族の画風をさす。北宋・郭若虚の『図画見聞誌』によれば、当時の花鳥画について「黄家は富貴」「徐熙は野逸」と評価されていた。黄筌(903年頃 - 965年頃)は四川成都の人で、前蜀の宮廷画家、徐熙(生没年不明)は鍾陵(江西省)の人で、生涯仕官しなかった。通説では黄氏体は輪郭線と彩色主体、徐氏体は没骨体といわれるが、黄筌の作品は『珍禽図』(北京故宮博物院)が残るのみ、徐熙の作品は残っておらず、両者の実際の作風の差は不明である。文献に照らしても、両派の作風にさほどの差異があったとは考えがたい。黄筌の子の黄居寀(こうきょさい)の作と伝えられる『山鷓棘雀図』(さんしゃきょくじゃくず、台北故宮博物院)は、北宋時代の作風を伝える。
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