舗装路時代
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1967年~1968年の全オートレース場舗装路改修後、4級車が廃止されたこともあって、キョクトーは3級車、2級車、そして1級車単気筒のエンジンを生産していた。しかし、当時はオートレース競走車用エンジン市場に新規参入した国産第3のメーカートーヨーが3級車エンジン市場で圧倒的なシェアを誇り、元来それほど強くなかった2級車と1級車のエンジン市場はメグロに奪われ、往時のような勢いは失われてしまった。やがて、1970年代~1980年代にかけては登録台数が50台を下回るほどに衰退してしまうこととなった。
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舗装路時代
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「メグロ (エンジン)」の記事における「舗装路時代」の解説
1967年~1968年の全オートレース場舗装路改修後、メグロは359ccの3級車、512ccの2級車、600ccと625ccの1級車単気筒を生産し続けた。2級車や1級車単気筒の需要が高く、特に2級車においては、ほとんどの選手がメグロの2級車に乗っていたと言っても過言ではない。ただ、この3級車や2級車はやはり直線のパワーは全くと言っていいほど無く、トラと比較するべくも無いほど非力なエンジンであった。従って、この頃の3級車や2級車は「1着はあっても2着はない」というのが半ば常識となっていた。一方、キョクトーが不振に喘いでいる現状もあってか、1級車単気筒の需要はトーヨー以上のものがあり、また、性能も高水準であった。しかし、当時の主力エンジンはやはりトラであった。全国区の選手達が使用するエンジンは依然トラで占められており、メグロはそこに割って入ることが出来ず、中々大きな舞台では活躍できなかった。
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