臼井藩
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臼井藩(うすいはん)は、下総国印旛郡の臼井城(現在の千葉県佐倉市臼井)を居城として、徳川家康の関東入国後から江戸時代初期まで存在した藩。譜代家臣の酒井家次(酒井忠次の子)が3万石を与えられて成立し、1604年に上野国高崎藩に移封されたため廃藩となった[1]。『寛政重修諸家譜』では居所の「臼井」を「碓井」と記している[2][3]。
注釈
出典
- ^ a b c d “臼井藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年11月11日閲覧。
- ^ a b c 『寛政重修諸家譜』巻第六十五「酒井」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.359。
- ^ a b c “酒井家次”. 朝日日本歴史人物事典. 2022年11月11日閲覧。
- ^ “臼井郷(中世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年11月11日閲覧。
- ^ a b c 小和田泰経 (2022年1月8日). “徳川家康の重臣「四天王」の中でも別格の存在だった酒井忠次の“献身”とは?”. AERA dot.. 2022年11月11日閲覧。
- ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六十五「酒井」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.360。
- ^ a b c d e “臼井村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2022年11月11日閲覧。
- ^ a b 斎藤秀夫 (2019年5月25日). “寄稿「鶴ケ岡城と酒井家の関わり」”. 米沢日報デジタル. 2022年11月11日閲覧。
- ^ a b 小和田泰経. “徳川家康の子・信康を殺害の命は信長か、それとも…”. JBpress. 2022年11月11日閲覧。
- ^ “碓井姫”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年11月11日閲覧。
- ^ “第2回 岡崎家康公検定(2011年) 問題・解答・解説”. 岡崎 家康公検定. 岡崎商工会議所. p. 17. 2022年11月11日閲覧。
- ^ 青柳明子 (2013年10月1日). “歴史エッセイ ─庄内藩の女性たち─~序章 酒井忠次公正室 吉田殿”. 山形鶴翔同窓会. 2022年11月11日閲覧。
- ^ a b c “歴史に見る鶴岡のむかしむかし”. 広報つるおか 令和2年7月号. 鶴岡市 (2020年7月). 2022年11月18日閲覧。
- ^ 『武徳編年集成』巻之四十、国文研データセット 当該部分。
- ^ 『改正三河後風土記』巻第二十八、『改正三河後風土記 下』(金松堂、1886年)p.1090。
- ^ 『群馬県史 第2巻』(1927年)、p.1 国会図書館デジタルコレクション該当部分
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