自然法学の受容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
仏民法典が基礎とした自然法思想は、日本でも、儒学を介して理解されることにより、キリスト教特有でない普遍的なものとして受容されていた。 西周・津田真道や、井上操(仏法派・断行派、関西法律学校創立者)が自然法と言わず「性法」と訳したのはその現れである。 天の命、之を性と謂い、性に率う、之を道と謂い、道を修むる、之を教と謂う。 — 『中庸』第1章 グローティウスの国際法論は孟子の性善説や王陽明と通じるものとして受容され、天賦人権論も、自然法思想と儒教の天思想の混淆による独自の概念である。
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