脇坂行三とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 脇坂行三の意味・解説 

脇坂行三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/10 07:05 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
脇坂行三

脇坂 行三(わきさか こうぞう /わきざか ぎょうぞう[1]1849年嘉永2年2月) - 1914年大正3年)9月7日[1])は、明治時代滋賀県政治家

生涯

生い立ち

1849年(嘉永2年)旧暦2月、近江国東浅井郡大郷村錦織に生まれる[2]。長じて豊後国中津の手島仁太郎、同国廣瀬孝之の私塾に入塾し、1871年(明治4年)横浜ドイツ語を修める。1879年明治12年)東京府病院医学校を卒業し、同年医術開業試験を受け免状を得、帰郷し東浅井郡小谷村大字丁野にて医業に従事した[2]1880年(明治13年)地方衛生会員に任じられ、1885年(明治18年)7月滋賀県会議員選挙に立候補し当選する。1888年(明治21年)には県会常置委員に推され就任した[2]

1890年(明治23年)、自由党を支持し滋賀県内北部同士と共に東北倶楽部を結成し幹事長に就任[2]、翌1891年(明治24年)3月第1回衆議院議員総選挙において当選した相馬永胤の辞職を受けた補欠選挙において当選し衆議院議員となった。1892年(明治25年)2月15日の第2回衆議院議員総選挙では次点にて落選したが、1894年(明治27年)3月1日の第3回衆議院議員総選挙において復活当選、以降1898年(明治31年)8月10日の第6回衆議院議員総選挙まで連続当選を果たした[3]立憲自由党から憲政党の中堅議員として活躍した。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』720頁。
  2. ^ a b c d 「衆議院議員列伝」P169 「脇坂行三」の項(山崎謙編 1901年)
  3. ^ 株式会社VoiceJapan. “『ザ選挙』-選挙情報-衆院選挙一覧”. 2013年1月7日閲覧。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「脇坂行三」の関連用語

脇坂行三のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



脇坂行三のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの脇坂行三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS