脇坂貞夫とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 脇坂貞夫の意味・解説 

脇坂貞夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/23 14:05 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
脇坂貞夫
個人情報
国籍 日本
生誕 1916年
死去 1945年4月
スポーツ
競技 フィールドホッケー

脇坂 貞夫(わきざか さだお、1916年 - 1945年4月19日[1])は、日本フィールドホッケー選手。

経歴

滋賀県出身[1][2]東京商科大学(現在の一橋大学)在学中[2]1936年ベルリンオリンピックホッケー競技に出場した[3]。ポジションは右ウイング[2]

1939年に大学を卒業すると、満洲中央銀行に入行[2]。まもなく日本帝国陸軍に召集され、第16師団(京都)に配属[2]

1944年4月、フィリピンサマール島ネニタ (ceb:Nenita (lungsod sa Pilipinas)付近で死去[1](当時、歩兵第9連隊所属の陸軍大尉[1])。脇坂は病死であったとみられ、戦後に各種組織で行われた「戦没オリンピアン」の調査では、「戦没」の定義(あるいは「戦死」「戦病死」「病死」の定義)をめぐって、脇坂の名が挙げられている場合と挙げられていない場合がある[4]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

  1. ^ a b c d 曾根 2020, 9-10頁.
  2. ^ a b c d e “戦後75年「戦没オリンピアン」に思いはせ 競技に打ち込んだ生涯、20~30代で絶たれ”. 京都新聞. (2020年8月14日). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/328266 2021年8月15日閲覧。 
  3. ^ Sadao Wakizaka Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2019年9月12日閲覧。
  4. ^ 曾根 2020, 3頁.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「脇坂貞夫」の関連用語

1
38% |||||

2
38% |||||

3
32% |||||

4
32% |||||

5
32% |||||

6
32% |||||

7
16% |||||

8
10% |||||

9
10% |||||

10
10% |||||

脇坂貞夫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



脇坂貞夫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの脇坂貞夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS