肝付兼満とは? わかりやすく解説

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肝付兼満

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 05:22 UTC 版)

 
肝付兼満
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦5年(1755年
死没 文化元年10月24日1804年11月25日
改名 兼満→活遊(号)
別名 通称:左門、弾正、帯刀
主君 島津重豪斉宣
薩摩喜入領主
氏族 喜入肝付氏
父母 父:肝付兼伯、母:島津継豊
正室:小松清香養女
兼般、兼智、兼資
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肝付 兼満(きもつき かねみつ)は、江戸時代中期から後期にかけての薩摩藩士。喜入肝付氏8代当主。

喜入肝付氏は肝付氏12代・肝付兼忠の三男・兼光を祖とする庶流。

宝暦5年(1755年)、肝付兼伯の子として生まれる。宝暦11年(1761年)、父の死去により家督相続する。明和2年(1765年)、藩主・島津重豪の加冠で元服する。

安永3年(1774年)、火消奉行を拝命する。天明3年(1783年)、領内喜入浜の石垣普請を行う。寛政2年(1790年)、百引郷地頭職となる。寛政6年(1794年)、隠居して家督を子・兼般に譲る。

文化元年(1804年)10月24日没。享年50。

参考文献

  • 「喜入村郷土史」



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