肝付兼興とは? わかりやすく解説

肝付兼興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/28 05:50 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
肝付兼興
時代 戦国時代
生誕 明応元年(1492年
死没 天文2年4月5日1533年4月29日
別名 通称:又八郎
官位 河内兵部少輔
幕府 室町幕府
氏族 肝付氏
父母 父:肝付兼久
兄弟 兼興、兼親(兼執)、頴娃兼洪
正室島津忠朝養女島津久盈娘
兼続入来院重嗣正室、島津貴久正室

肝付 兼興(きもつき かねおき)は、戦国時代武将肝付氏15代当主。大隅国高山城主。

略歴

明応元年(1492年)、14代当主・肝付兼久の子として生まれる。大永3年(1523年)、父の死去により家督を継ぐ。

薩摩国島津氏とは縁戚関係を結んでいたが、大永4年(1524年)、島津氏の分家である「豊州家」の岳父・島津忠朝から同族北原氏の居城であった大隅の串良城を奪還した。その後、居城を高山城に移し、島津氏と幾度も抗争して勢力拡大に努めたが、天文2年(1533年)に死去。享年42。

死後、子・兼続と兼興の弟・兼親(兼執)の間で家督争いが起こり、兼続が勝利して相続することとなる。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「肝付兼興」の関連用語

肝付兼興のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



肝付兼興のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの肝付兼興 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS