肝付兼興
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 明応元年(1492年) |
死没 | 天文2年4月5日(1533年4月29日) |
別名 | 通称:又八郎 |
官位 | 河内守、兵部少輔 |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 肝付氏 |
父母 | 父:肝付兼久 |
兄弟 | 兼興、兼親(兼執)、頴娃兼洪 |
妻 | 正室:島津忠朝養女(島津久盈娘) |
子 | 兼続、入来院重嗣正室、島津貴久正室 |
肝付 兼興(きもつき かねおき)は、戦国時代の武将。肝付氏15代当主。大隅国高山城主。
略歴
明応元年(1492年)、14代当主・肝付兼久の子として生まれる。大永3年(1523年)、父の死去により家督を継ぐ。
薩摩国の島津氏とは縁戚関係を結んでいたが、大永4年(1524年)、島津氏の分家である「豊州家」の岳父・島津忠朝から同族北原氏の居城であった大隅の串良城を奪還した。その後、居城を高山城に移し、島津氏と幾度も抗争して勢力拡大に努めたが、天文2年(1533年)に死去。享年42。
死後、子・兼続と兼興の弟・兼親(兼執)の間で家督争いが起こり、兼続が勝利して相続することとなる。
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