肝付兼伯とは? わかりやすく解説

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肝付兼伯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/03 09:12 UTC 版)

 
肝付兼伯
時代 江戸時代中期
生誕 享保11年(1726年
死没 宝暦11年11月19日1761年12月14日
別名 通称:弾正、主殿
主君 島津継豊宗信重年重豪
薩摩喜入領主
氏族 喜入肝付氏
父母 父:肝付兼逵、母:北郷久嘉娘
正室:島津継豊娘
兼満

肝付 兼伯(きもつき かねたか)は、江戸時代中期の薩摩藩士。喜入肝付氏7代当主。

喜入肝付氏は肝付氏12代・肝付兼忠の三男・兼光を祖とする庶流。

享保11年(1726年)、肝付兼逵の子として生まれる。元文2年(1737年)、元服する。元文4年(1739年)、父の死去により家督を相続する。

延享元年(1744年)、火消奉行となる。延享3年(1746年)、幕府巡見使を領内に迎える。延享4年(1747年)、百次地頭職。宝暦元年(1751年)、大御所徳川吉宗薨去の際に、弔問使として江戸に下る。宝暦3年(1753年)、藩主・継豊の謝恩使として江戸に下り、江戸城将軍家重に拝謁する。宝暦8年(1758年)、加久藤地頭職。宝暦9年(1759年)、寺社奉行。

宝暦11年(1761年)11月19日没。享年36。

参考文献

  • 「喜入村郷土史」



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