肝付兼固とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 肝付兼固の意味・解説 

肝付兼固

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 18:55 UTC 版)

肝付 兼固(きもつき かねかた、生没年不詳)は、戦国時代武将大隅国肝付氏の庶流。受領名越前。父は肝付兼光。弟に兼恒。子に兼演、兼利、上井薫兼室(上井覚兼母)。

文明15年(1483年)、父・兼光が没すると家督を継いだ。兼固は島津忠昌から姶良郡溝辺三十町を与えられ、文明16年(1486年)、兼固ら一族はそれまでの所領・大崎から溝辺に移住した際に、瑞泉山心慶寺(ずいせんざんしんけいじ)を建立した[1]

その後、兼固の子・兼演は島津氏の家老となり、加治木に移る。

脚注

  1. ^ 霧島市『広報きりしま VOL.14』、20頁



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「肝付兼固」の関連用語

肝付兼固のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



肝付兼固のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの肝付兼固 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS