羽幌線計画と当駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 14:44 UTC 版)
後に羽幌線の一部となる、改正鉄道敷設法別表第144号における「天塩国羽幌ヨリ天塩ヲ経テ下沙流別付近ニ至ル鉄道」の建設前の1927年(昭和2年)8月に、幌延村長高橋文之助から農林政務次官東武(あずまたけし)に宛てた陳情書の中に「遠別線鉄道促成ノ件 下沼・遠別間二十一里ノ遠別線鉄道ヲ昭和3年度着手、昭和7年度ニ完成セラレ度」として、分岐点を当駅とする旨の記述が見られる。その後、1929年(昭和4年)には村会をはじめ村内で分岐点をめぐる論争が活発となり、9月の村会では、分岐駅を幌延駅とする建議案が否決されている。 しかし、最終的には幌延駅を分岐点とする線路測量が行われ、1935年(昭和10年)6月30日に幌延駅 - 天塩駅間が開通している。
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