罷免から隠居へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:57 UTC 版)
維新後も神宮祭主であり続け、明治2年(1869年)の第55回神宮式年遷宮を斎行した教忠だったが、維新政府の改革のメスがついに入ってしまう。神宮の神官世襲廃止の布石として、明治4年1月28日(1871年3月18日)、祭主を罷免されてしまった。神宮に対しては同年5月14日(7月1日)に神官世襲廃止が通知された。 明治9年(1876年)12月25日、家督を婿養子に迎えた藤波言忠に譲って隠居する。 明治19年(1886年)には五辻高仲・山井氏暉と共に特旨を以て同日昇叙した。教忠と高仲は正二位に、山井は従二位に叙された。 明治24年(1891年)、かねてからの病により、69歳で薨去した。墓所は青山霊園 1-ロ12-23。
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